いなフリ

【保存版】本当にヒマな人以外読まないでください。#KYOの生態系

こんにちは。

【閲覧注意】

この注意書きが会ったにも関わらず、思わずページをクリックしてしまったあなた。

この記事ではひたすら「KYOのこと」を書いています。

KYOとは今これを書いているわたしのことです。

読み終わるのに10分ほど頂きます。

の割には内容を担保できません。

 

あなたの10分、人生の10分の重みをよく考えた上でお読みすることをお勧めします。

その代わりこれを読んだ後にはKYOの今までの人生の99%を理解することができるものとなっております。

「どうしてもKYOのことを知りたい」

「今パッとKYOのことを考えてしまった」

「KYOってマジで何考えてるの?」

そういったお悩みを、KYO本人であるという権威性のもと解説を行っていきます。

 

またこの記事のまとめを以下にご用意しました。

こちらは30秒ほどで読み終わりますので、ページを離れる方はこれが最後のチャンスとなっております。

 

この記事のまとめ

・あなたを一言で表すとどんな人間ですか?

人間フェチです

・なんで言葉を勉強するんですか?

世界中の70億人と友達になりたいから

・なんで世界中の人と友達になりたいんですか?

人間に興味があるから

・最終的にどこに行きたいんですか?

→田舎に国連を作りたい

 

よろしかったでしょうか?

 

それではKYOについて、なるべく簡潔に、

そして過去から現在に沿って時系列で解説を行っていきます。

どうぞお付き合いください🏃💨

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

私の名前は石井京一です。

199411月1日生まれ。

京都府左京区で3人兄弟の長男として生まれた24歳のA型です。

この頃はまだ一番下の弟は生まれていないみたい。

 

大学を卒業し、現在は千葉で生活をしていると思われます。

 

転勤族だった小学生〜高校時代

京都で生まれたと申しましたが、父が重度の転勤族(?)だったこともあり、

小さい頃から約3年に1回のペースで転勤を繰り返していました。

京都で生まれてすぐに新潟に引っ越し、そこから東京、熊本と3つの小学校を転々とし、

中学高校になっても家は兵庫、京都そして千葉と繰り返し移動を重ねました。

自分の安心できるコミュニティが、ある日突然に引き離され、知らない環境に一人放り込まれる。

当時10歳前後の小僧。

めまぐるしく変わる環境の中で、なぜ腐らずに頑張れたのかは今でも謎です。

どんな環境に置かれても、どんなに異なる人とでもコミュニケーションができるようになった。

逆にそれができなければ世を生き抜くことができなかった(かなり大げさですが笑)ということで

小さい頃の転勤のお陰で、「コミュニケーション能力」を獲得したと言えます。

(そうプラスに解釈できるようになったのは割と最近のことです。)

 

とりあえずやってみる。考えるのはそのあと。

そして今から6年ほど前、私は横浜の大学に進学をします。

大学生の当時は、世の中は林修先生の「じゃあいつやるか?」という例のアレが一世を風靡しておりました。

当時18、19歳だった僕

ご多分にもれず「今でしょ!」を乱用、そして圧倒的な若さも助け色んなことに挑戦しました。

2週間東南アジアをバックパックしたり、

自転車で北海道から鹿児島まで日本縦断をしてみたり、

 

20歳のうちに47都道府県踏破を目指してヒッチハイクしちゃったり、

 

とりあえず思いつくことは光の速さで実行に移してきました。

そんな中でも一つだけ、高校の頃からの夢で、

大学生になったらやりたいことが変わらずありました。

 

🇳🇿ニュージーランド🇳🇿で完全に頭のネジが飛んだ。

 

そうです、それは「海外留学」です。

英語圏に留学をしたい、海外の大学で海外の学生と一緒に勉強をしていたいと思ったのです。

大学生の時は色んな挑戦をしながらも、英語は1日たりとも欠かさず勉強をしました。

そして2016年の2月から🇳🇿ニュージーランド🇳🇿で、1年間ビジネスの勉強をしました。

 

 

向こうの大学で勉強をするかたわらで、

旅行好きが転じたのか、観光案内所で働いたりもしました。

海外からくる世界中のトラベラーに対して、ツアーや宿の予約、アクティビティの販売、なんかをやっておりました。

自分が旅行者にツアーを売るということで、まずは自分が実際に体験しないといけません。

ということでニュージーランドに存在するアクティビティは、一通り全てやりました。

 

バンジージャンプ!

 

 

熱気球(終わった後だけど笑)

接客業というものをNZで生まれて初めて経験しました笑。

皮肉なことに、英語は問題ないのですが、

日本人の旅行者が相手だと変に言葉遣いに緊張してしまい、

ヘンテコな日本語を日本人スタッフに注意される、というのはよくありました。

 

この留学を通して、NZに関しての特に観光業の知識に関しては、

変なHISJTBのスタッフさんよりはあると自負しています😘

 

そして一年の留学を終え、2017年春に帰国。

いよいよ人生終了の儀、「就職活動」に差し掛かるかと思ったその時、

僕はあるものを発見します。

 

えっ、ただで世界一周できるの?!

 

Peace Boat (ピースボート)です。

豪華客船に乗って世界一周ができるというのです。しかもボランティアとして!

Peace Boatは結構でかいんです🏃💨

たまたまNZの友達から、船内の通訳ボランティアを募集してるけど、KYOは興味ない?と言われたのがきっかけでした。

「いや日本語と英語ができて、世界一周しながら船で周るなんて、こんなおいしい話があるのか!」

とっくにブームは過ぎ去っていましたが、林修先生はいつも僕の背中を強く押しました。

 

気づいたら応募をし、そしてその2か月後には船に乗っていました。

100日間の世界一周へ出発です。

横浜の大桟橋を出発!(2017年8月)

自動的に就職活動はスキップすることになりましたが、

ここら辺からわたくしの好奇心は加速度的に増加していきます。

 

NZで鍛えた英語力にある程度の自信はあったものの、

毎日レベルの高い英語と格闘をする日々。

 

お客さんは僕の英語や日本語を聞いて講演の内容を理解するので、なかなかのプレッシャーでした。

 

通訳の様子

国際ジャーナリスト、大学教授、環境活動家、あらゆる分野の専門家の通訳をすることは容易ではありません。

今までずっと英語が好きでやってきたけど、他の通訳者さんのレベルの高さを肌で感じ、初めて英語が嫌いになりかけました笑。

「ああ、俺は日英の通訳で一番になることはできないんだなぁ~」と思い、

同時に「じゃあもっと自分がユニークな存在になるためには、どうすればいいんだろう?」と船内で考え始めましたのがこの頃からです。

 

唯一無二になるために

 

そこでフッと思ったのが、「中国語を始める」ということでした。

僕は世界中の人と友達になりたいと思っていますが、

英語だけ話せても世界の17億人としか友達になることができません。

(とGoogleさんが言っていたのです。)

 

もし中国語が話せて、世界一話者の多い13億人もの中華系の人と話せれば、

一気に(17億+13億人=)30億人の大台に乗ります。

日本語しか話せない人に比べて30倍の人と繋がれるし、

30倍のモノの考え方を知ることができます。

30倍の可愛い女性と話せますし、

結婚対象が30倍に広がります。

僕の興味の対象が30倍に広がるというのは、

これはワクワクせずにはいられません。

 

金なし仕事なし、あるのは夢と時間だけ。

そこで中国の政府が出してる奨学金に応募をすることにしました。

 

しかし。。。

 

一回目は失敗、二回目も失敗、最後の三回目。

 

これも失敗して結局三回失敗しました。

 

新卒で入った会社も辞めたし、

夢と時間はあるけどお金がない。

 

2018年の7月でした。

当時住んでた鎌倉 @文学館

「お金がない、どうにかしないと。今からバイトしても絶対に間に合わない。どうするか。。」

本当に途方に暮れていたある日、去年ピースボートで出会った、ある人が頭に浮かびました。

福岡から参加の70歳くらいのお客さんで、クルーズ中ずっと、スタッフの僕をすごく可愛がってくれていました。

船内ではなんどもご飯をご馳走になりました。

 

「そうだ、その人しかいない。電話してみよう。全部正直に話そう」

あまりに若すぎました。

気付いたらその人の電話番号に電話をしていたのです。

「あの、、お久しぶりです。ちょっとお願いがあって、、」

明らかに緊張していました。

 

目的は「留学資金のためのお金を借りること」

お世話になっているとはいえ、所詮は他人。

それも半年前から会っていません。

 

いざ電話が繋がると、緊張のボルテージが一気に上がりました。

「お金を貸して欲しい。」

その一言がなかなか言えずに、どもる自分。

おじさん
おじさん
なんね?どうしたと?ハッキリ言わんとこっちもわからんとよ?

気付いたら言葉よりも先に涙が止まらなくなっていました。

自分でもなんの涙かわかりませんでした。

おそらくこんな状況になってしまった自分の情けなさと、

あとは「怒られるかもしれない、これまでの信頼関係が一気に崩れ去るかもしれない」という恐怖

いろんな感情が混じっていたのかもしれません。

 

KYO
KYO
〜〜という状況なので、お金を貸していただけないでしょうか?

やっと出てきたときには、もう目の前が見えないくらい涙と、嗚咽とで訳の分からない状況でした。

外で電話をしていたので、通行人も皆心配そうにこちらを見ていました。

でもそんなことを心配している余裕など、どこにもないのは言うまでもありません。

 

 

KYO
KYO
留学に行くお金を貸してください!!(泣鼻水嗚咽)
おじさん
おじさん
。。。。。
KYO
KYO
(ああ、おわった)

 

 

割と長い沈黙(に感じる)

 

おじさん
おじさん
わかった。お金は気にしなくていいから、KYOちゃんが一番したいと思うことをやりなさい
KYO
KYO
(え、、、、うそっ、、まじ?!)ありがとうございます!!

 

結果僕は、親戚でも家族でもない70歳のおじさんから、留学資金を借りてしまったのです。

「俺はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。。」

という思いと同時に、

「こんな何処の馬の骨ともわからない若造だけど、夢を語ったら投資してくれた」という素直な嬉しさがありました。

ということで長くなりましたが、これで直近3カ月中国語を留学することができるようになりました。

そして留学場所は中国大陸ではなく、台湾に決まりました。

留学までのプロセスはめちゃくちゃでしたが、なんとか夢には一歩近づきました。

 

(結果オーライ!)

 

いざ、トリリンガル。

成田から台湾に行く前に、お金を貸してくれたおじさんのもとを訪ね、

感謝の気持ちを伝え、福岡空港から台湾へ。

いざ、台湾へ(2018年8月)

留学中の3カ月はとにかく中国語のことしか考えてなくて、一日26時間くらい勉強してました笑。

語学学校のみんな。年齢も国籍もバラバラ。

「今自分が台湾で生きているのは紛れもなくあのおじさんのお陰である。」

そう考えると「疲れた」とか「やる気が出ない」とか簡単には言えなくなります。

何より自分がやりたかったことをやれている環境。

それがこの上ない幸せでした。

おじさんありがとう。本当にありがとう。

そう毎日思っていました。

台湾ではこうした市場で食べるのが一般的

でも台湾での留学生活が始まって三週間目で手が腱鞘炎(けんしょうえん)になったり、

あとはお尻の皮がむけたので、

「ああ、このままいけば体壊すな」と思い

土日くらいはペンを持たずにゆっくりするスタイルに変更しました。

周りの環境に恵まれたこともあり、3ヶ月ではありましたが、

ある程度中国語を使いこなせるレベルにまではなれました。

 

楽しかった3ヶ月もあっという間に終わり、2018年冬。

寒さの厳しい日本へ帰国をしました。

 

夏の台湾から冬の日本へ(寒いよ日本。。)

帰国もそうそう、僕は台湾に行く前から決めていたことが1つだけありました。

 

ふりーらんすとは、何だ?

 

それは

「田舎フリーランス養成講座」

に参加をすることです。

 

 

最近流行りの言葉なのでしょうか。

未だにこのフリーランスと呼ばれる人の生態系が分かりません。

 

自分のスキルで稼ぐ。

会社に依存せずに生きていく。

 

イマ風でかっこいい匂いがプンプンします。

 

昔から、興味があればその世界を覗いてみたいと強く思う性格

 

要は好奇心の延長線上で、1ヶ月だけフリーランスの学校に行ってみよう!

 

ということで、

帰国早々に僕は千葉県のいすみ市という場所で生活をしています。(👈現在ココ)

 

僕個人としては

フリーランス一本で生きていく、というよりは

長期的に見て、もっとネットの良さを生かしていきたいなと思っております。

それはすなわち「発信力」です。

 

人に伝わる文章を書くことであり、

人に伝わる仕組みを理解することです。

田舎フリーランス養成講座@千葉いすみ

 

1ヶ月間、ワクワクドキドキです。

 

親には「いったい何しに行くんだ?」と度々尋ねられました。

 

でもあんまりうまく説明できません。

 

だって自分が何するか分かってないんだから笑

 

「怪しい宗教とかじゃないから安心して」とは伝えてから来ましたが、

 

本当はそういう宗教なのかもしれません。(違います笑)

 

 

最近の課題は、「自分が認識する自分」と「相手が認識する自分」の距離を近づけることです。

 

どういうことかというと、

この写真、これは受講生の一人に撮ってもらったものなのですが、

みんなは全会一致で

「KYOの人間性が現れてるよ!」

と言って、この写真を推すんです。

でも僕は他の写真の方がいんじゃないかと思っている。

こういう状況が発生しています。

 

なんで皆がこの写真を選ぶのか、僕はあまり理解できないんです笑。

 

でもこういう時は周りの人の意見に合わせるのがいいのかな?と思ったので、

とりあえずこの写真で我慢しています。

 

やらずには死ねない3つのこと

 

最後に今後長期的にやりたいことを3つ挙げます!

 

やらずには死ねない3つのこと

1.田舎に国連を作る

2.世界生き方百科辞典を作る

3.中国にある56の民族全部に会って取材する

 

一つずつ簡潔に説明していきます。

田舎に国連を作る

だいたい他人にこれをいうと、

「はっ?どういう意味?」

って言われます。

ここでの意味は、

年齢、国籍、性別関係なく、集まれるコミュニティをどこかの田舎に作る

ということです。

日本かどうかは分かりません。

でもどこかの国の田舎です。

なるべく自然と近い場所がいいです。

あ、海は必須です笑。

 

そのコミュニティにいる限り、

相手がどこの国から来たとか、何歳であるとか全く関係なしに、

「あなたがどんな人間であるのか」

それだけが重要視される場所です。

 

「自分のお城」を作りたいんですね。

これは正直まだはっきりとは言語化できない部分も多いです。

結果それがバックパッカー宿なのか、会社なのか、はたまた別の形になるのか、

それは今後走りながら決まっていくんだと思いますが。

 

「世界生き方百科辞典」を作る

このメディアでも少し始めましたが、

世界のいろんな人の生き方を知りたい、そしてそれを日本の皆さんに発信したいと思っています。

僕は英語と中国語は話せるので、リーチできる人の絶対数が多いです。

「え、世界にはこうして生きている人がいるんだ!!」

世界にいる飛びきり面白い人をインタビューして記事にする。

というのを日本国内外を問わず、発信していきたい。

そういうメディアを育てていくのが僕の夢です。

(あ、通訳を介してでもいいんですけど、僕個人はあまり好きなスタイルではないです。)

 

中国にある56の民族全部に会って記事を書く

最後のこれ。

中国にはいろんな民族があると言われています。

政府が発表しているだけで56の民族があるらしいです。

いつか中国を歩いて旅しながら、その民族を一個一個記事にして発信していきたい。

そういうことです。

なんでやりたいかって、僕にとってはあの大国は

「謎に満ちた巨人」なんです。

中国って多様性の宝庫だと思うんですよね。

純粋に民族だけ見ても、日本とは比べ物にならないくらい多いし。

僕らが知ってる中国って、テレビで見たり、観光客の人たちだったり。

 

それってほんの一部分にすぎない。

あの国は、もっと面白い文化や、考え方や、人や、食べ物や、綺麗な女性や。

好奇心の宝庫ですよ、ええ。

 

ちなみにこれは直感です。

実際に行ってみないとわからないけれど、

とりあえず長期間滞在して、あの大国の少しでも知れたら、

そして日本の皆にも知ってもらえたらなって、思っています。

 

 

まとめ

 

何よりもここまで読み進めてくれたあなたは本当に素晴らしい人間です。

本当にありがとうございました!

 

そして、

いかがでしたでしょうか?

KYOという人間は今こんなことを考えています。

自分の考えを発信するのは、

時に勇気のいることですし、

叩かれたりもするかもしれないし、

でも何よりも賛同者を集めることができると思うんです。

少しでも何か感じるところがあれば、嬉しです。

 

改めて最後まで読んでくれてありがとうございました。

もうこれ以上の僕はないです笑

100%理解していただいております。

のでどうぞ安心してください(謎)

 

 

KYOという人間まとめ

・あなたを一言で表すとどんな人間ですか?

人間フェチです

・なんで言葉を勉強するんですか?

世界中の70億人と友達になりたいから。

・なんで世界中の人と友達になりたいんですか?

人間に興味があるから。

・最終的にどこに行きたいんですか?

①田舎に国連を作りたい。

②世界生き方百科辞典を作る。

③中国を旅して回りたい。

 

<完>

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